適性検査
昨日、適性検査というものを受けた。
想定されている一般的な用途は、採用試験などで、文字通り受検者の “適性” を測るものなのだが、
ボクは自己理解のため、そして社内のデータ収集のために受検した。
webで受検が可能で、内容としては大きく2つ。
アンケート形式による「パーソナリティ」をチェックするものと、数学や図形問題など「能力」をチェックするものに分かれていた。
後者の能力を測る問題は、とにかく難しかった。
どうやらメモを取ったらアカンようで、頭のなかで連立方程式を組み立てることなど、とうてい不可能だった。
結果は思わしくないだろうなあ。
そして前者のアンケート部分なんだが、これについて思うことがある。
出題される問題としては、
「わたしは過去の失敗をよく思い出すことがある」
「まわりの人の意見に合わせて自分の態度を変えることがある」
というような、よくある問いで、
これに対し「よくあてはまる」「ややあてはまる」「ややあてはまらない」「まったくあてはまらない」の4択で答えていくもの。
その “思うこと” というのが3つあって、
まず一つ目は、
「受検したときのシチュエーションによって回答は変わるでしょ」という点で、
要は、その回答って、直近の出来事や思い出に引っ張られてしまうよなあということ。
前の晩に、たまたま昔やってしまった失敗のことを思い出してしまったら、
きっと「わたしは過去の失敗をよく思い出すことがある」の回答は「よくあてはまる」にしてしまうだろう。
次に、
「理想の自分が入ってこない?」という点で、
各問いには、だいたい「自分としてはこうだったらいいよな~」という理想の回答となるものが含まれているが、
これが今の現実と異なる場合に、理想に引っ張られず冷静に “今” を見て回答できるのだろうかということ。
そんな芯の強い人ってあんまりいないんじゃないのかなというのが正直な感想だ。
例えば、「まわりの人の意見に合わせて自分の態度を変えることがある」という問いなら、
“いや、昔は確かにそういう面もあったけど、今はきっと違う。うん違うはずだ!”
と、見込みで回答してしまう気がする。ボクなんかはまさにそういうタイプだ(笑)
そして最後に、
「結局、最初の方にした回答に、あとの回答は左右されるよね」という点。
これは人間が持つ『一貫性』という特性がもろに表れてしまう点だと思っていて、
こういう適性検査には、たくさんの問いがあるが(今回でいうと約190問!)、その中には似たようなものがちょこちょこ含まれている。
若干表現は変わったり、ちょっとニュアンスが違ったりするのだが、おおきな趣旨や聞きたいことは同じだろうなあと思われる問いがそれなりにある。
聞いた話だと、回答の一貫性を測っているそうなのだが、人間はそもそも『一貫性』のある生き物なので、ここが大きくズレることはあまりないのじゃないかと思う。
面白い実験があって、
街角インタビューのようなシチュエーションで、
いきなり「調査へ協力していただけませんか?」と聞いた場合に、協力してくれた人の割合は約30%だったの対し、
呼び止めた際に、「あなたは人助けができる人ですか?」と尋ね、ほぼ全員が「ええ、まあ」と答えた後に、同様のお願いをしたところ、協力してくれた人の割合は約80%に伸びた、というもの。
これが意味するところは、
人は自分の発言(「人助けができる」と答えたこと)と一貫性がある行動(調査に協力する=人助け)をとろうとする傾向があるということ。
つまり、適性検査においても、最初にある問いに回答してしまうと、
それが過去の思い出や将来の理想に引っ張られたものであっても、その後の回答はそれと整合するようなものになってしまうということ。
しかも無意識のうちに。
そう考えると、こういう調査って、
バイアスがかかった回答に、さらに後の回答が引っ張られるという、
結果、偏りまくったものになっちゃうんじゃないですか、というのかボクの懸念です。
まあ、こういう風に考えるボク自体がかなり偏ってるんだろうけど。。。
実際は、 “あ、割と当たってるやん” ってなるんだろうな。
ただ、
この “当たってるな” でさえも怪しくて、
人間の中にはいろんな側面があって、自分の中のにも診断結果に沿うような部分も必ず存在するから、
それを無理くり引っ張り出して、「確かに」と納得しようとしているだけなのかもしれない。
ちゃんちゃん。
ではまた。